初めてお会いするお客様から時折頂くご質問です。また、先日はご契約して5年程過ぎたお客様からも同じ質問を頂きました。「そういえば、なんで渡邉さんなのに”たちばな”税理士事務所なんですか?」せっかくの機会なので、ご紹介させて頂こうと思います。「たちばな」は渡邉さん家の屋号私の実家はいくつかの事業を行っているのですが、事業を行う際には、屋号を「たちばな」でそろえています。例えば、実家の家業のうち生花店では「たちばな園芸」「フローリストたちばな」があります。実家の屋号を大事にしたいと思い、私も税理士として開業する際に「たちばな税理士事務所」としました。後に行政書士登録もしており、「たちばな行政書士事務所」としました。ではなぜ、実家は屋号を「たちばな」としたのでしょうか?始まりは江戸時代!?私は、石神井生まれ石神井育ちなのですが、もう記録も残っていないのですが江戸時代なのか、その前の時代なのかその頃から先祖が石神井に住んで畑を耕していたそうです。皆さんもご存知の通り、練馬と言えば歴史の教科書にも「練馬大根」が出てくるくらい、昔から農業が盛んな場所です。昭和になると畑で野菜を育てるほか、庭に植える木を育てる植木屋も行っていたそうです。高度経済成長期その後、高度経済成長期を迎えると、石神井も人口も増えてきて、また実家が駅から比較的近いということもあり、大手スーパーのSEIYUより店舗を出店したいという話があったそうです。話がまとまり、畑の一部にSEIYUが出来ました。当時は、個人商店しかなかった時代なので、大型スーパーが出店するというのは画期的な出来事だったそうで、お客様も沢山いらっしゃったそうです。しかしながら、しばらくするとSEIYUから「スーパーの前が畑というのはちょっと・・・」という話になり、それでは何か事業を始めよう!となったそうです。時代に合わせたビジネス展開当時、人口の増加に合わせて、家の形態も変化していきました。平屋の庭のある家から、2階建ての庭の小さい家やアパート・マンションが増え始めたこともあり、「庭の植木」だけでなく「室内の花」を販売していこう!という発想のもと、生花店(当時は園芸店)と、大勢いらっしゃるSEIYUのお客様向けに駐車場業をスタートすることになりました。その際に、店の名前を何にするかという話になり、当時の渡邉家の主が私の曽祖父だったのですが、その名前「橘次(きつじ)」から「橘(たちばな)」をとり、「たちばな園芸」と名付けられました。それ以来、家業を行う際には「たちばな」とつけるようになりました。「たちばな」は「橘」だったこのコラムのカバー写真は、曽祖父である渡邉橘次が50年前?もっと前?いつの時代か神社仏閣の再建の際に寄付をし、その証として刻まれた柱です。写真の真ん中あたりに「渡辺橘次」とございます。ということで、長くなりましたが「たちばな税理士事務所」の由来でございました。私自身「たちばな」という屋号をとても気に入っておりまして、小さな話かもしれませんが代々引き継ぐ屋号というものを誇りに思っています。これからも大切にしていきたいと思っております。